こうありたい
人の幸せを心から喜べる人間でありたい。
私生活がうまくいっていないと、そんな簡単なことすら難しい時期もある。
妬みの感情が燻るのを感じる瞬間がある。
だけどそれを受け入れて開き直りたくない。
せめて、「人の幸せを心から喜べる人間でありたい」という気持ちだけは持ち続けていよう。
誰かの不幸を願うようになったら人間おしまいだ
私のターン
先月くらいまで、淀み蠢くどす黒い何かが停滞し、私の運気的なものを覆い隠していたように思う。
(無宗教かつスピリチュアリズムにも興味はない、ということだけ言い添えておきます)
本来強運の持ち主であるはずの私。
なぜか行動全てが裏目に出てしまい、ことあるごとに失敗、失敗、失敗の連続。
じわりじわりと精神も蝕まれ、そろそろ潮時なのかな、とも考えた。
が、しかし。
ここのところ、追い風が吹いている!
ミスが減り、仕事へのモチベーションも上がってきた。
上司の支持もそれなりに得ている(と願いたい)。
これまでずっと、ゴールが見えず、目標もなく、「私がいるべきは此処じゃない、辞めたい」とひたすら願い続けてきた。
でも、ついにここへきて目標ができた。
目指したい、追いつきたい上司がいる。
もう少しこの世界で踏ん張ってみよう。
そんな気持ちが芽吹いた秋の終わりと冬の始まり。
冬は一番好きな季節。
私のターンがやってきた
アフリカ人の友達ができた
主題のとおり、アフリカ人の友達ができた。
昨日新宿駅で旧友を待っている時、隣に立っていた黒人からおもむろに声をかけられた。
少しでも英語の通じる日本人を捜していたのか、「Do you speak English?」の問い掛けに「うん、少しね」と答えた瞬間、心の底から喜びを噛みしめるように「Finally……!」とガッツポーズをしていた。
両腕で。
話を聞いていくと、どうやら彼は生まれこそアフリカのセネガルだけれど、3歳の頃からスイスに住んでいて、友人、教育、センスや価値観などは、全てスイスで得て、そして培われたものだと語った。
エンジニアの仕事をする傍ら、趣味と副業の実益を兼ね、カメラを構えては時折こうして世界中を旅しているらしい。
やりたい事が明確なのって羨ましいぜ
Perfect Days
ELLEGARDENは私の全てだった。
そう言葉にしたところで、当時の私がいかに心酔しきっていたかなんて、きっと万分の一も伝わらない。
だけど私は確かに、病める時も、健やかなる時も、エルレを聴いていた。
エルレの活動休止が発表された日は、あまりのショックに学校を休んだ。
音楽の良いところは、消えて無くならないことだ。カセットテープがMDに姿を変え、やがて小さな円盤となり、ついには何ギガバイトのデータと化しても、消えて無くなるわけではない。
同じように、エルレが活動を休止しても、彼らの残した音楽や、青春を彼らと共にした記憶が消えて無くなるわけではなかった。
だから私は、思春期特有の不安定な時期もエルレで乗り越えた。
私が生きる理由は、ルフィがワンピースを見つけるまで見届けるため。
そして、エルレ復活の場に居合わせるため。
冗談抜きでそう考えていた時期があった。
もし尾田栄一郎に何かが起きて、一生漫画が描けなくなったら。
細美武士が歌えなくなったら。
生きる理由が無くなってしまう。
今となっては馬鹿馬鹿しいのだけれど、そんなことを考えては眠れなくなる夜も本当にあった。
やはり私の青春を構築したバンドということもあって、今でも思い入れは強いのだけれど、あの頃のエルレに対する情熱は控えめに言って異常だったと思う。
細美武士の書く歌詞ひとつひとつが、ハートのど真ん中、深いところまで刺さったし、細美武士が何を歌いたいのかも、(自分なりに)完璧に咀嚼した。
Yahoo!知恵袋や2ちゃんねる辺りでファン同士が曲の解釈を争って議論していると、「そうじゃないだろクソにわか」と思ったし、たまに「そうじゃないだろクソにわか」とコメントすることもあった。
まじ不毛。
ただ、彼らの音楽を聴くと、生きていく上での歯痒さやもどかしさ、酸いも甘いも、全てを掬い取ってくれているような気がした。
鼻で笑う人もいるだろうけど、当時の私にとって、エルレはそれくらい“全て”だった。
今日、エルレより先に一世を風靡したハイスタが、事前告知一切無しでCDをゲリラ販売したというニュースを聞いた。
私がエルレに夢中だったように、きっと当時ハイスタに夢中だったであろうスーツ姿のサラリーマン達がCDショップに大行列を作っていたと聞き、胸が熱くなる。
サラリーマン達にとって、ハイスタは青春の全てだったんじゃないかな。
私にとってエルレがそうだったように。
ふとエルレの曲が聴きたくなって、仕事帰りの電車でiPodを弄る。
耳から聴こえてくるのは、いつまでも消えて無くならない、青春そのもの。
(思いの丈を綴ったら下手くそなポエムみたいになった)
ウェスティン東京
今日は恵比寿にあるウェスティンホテルで商談があった。
午前中は別の仕事で晴海へ出向いていて、そこで昼食も振る舞われたから、商談の予約時間にはかなりギリギリで恵比寿へと向かった。
うまいこと電車を乗り継いで、間に合うかどうか、先方に遅刻の一報を入れるかどうかの瀬戸際ってところで事件は起こった。
恵比寿でタクシーを拾ったんですけど、遅刻ぎりぎりだからね、息を切らしながら「ウェスティンホテルまでお願いします、ウェスティン、」って運転手さんに伝えたわけ。
歩いて5分の距離なのにタクシーを使うのも忍びないなあと思いつつ、刻一刻と迫る商談の時間、背に腹はかえられない。
運転手さんも愛想の良い人で、「大通りは混むから、少しガタガタするかもしれないけど、裏道を通って近道しますからね」と、タクシーは出発。
ああ、これならなんとか間に合いそうだ、とホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
何かがおかしい。
恵比寿駅から歩いてすぐの距離にあるはずのホテルなのに、恵比寿駅からどんどん遠ざかっている気がする。
裏道を通って行くとは言っていたけれど、裏道?これ裏道?
そのまましばらく走って、タクシーは渋谷駅の新南口の前でピタリと止まった。
「お客さん、この並びですけど、どうします?目の前まで行きます?」
しかしウェスティンホテルらしき建物はどこにも見当たらない。
この通りにウェスティンホテルがあるの?
いや、ないだろ。
その前にここ恵比寿じゃないだろ。
「あの、どれがウェスティンホテルですか?」
「え?」
「え、お客さん、メッセっておっしゃったじゃないですか!」
お、おっしゃってねえーーーよ!!!!!
じゃあまず聞くけどメッセってなんだよ!!!???
時計の針に目をやると、商談の予約時間まであと8分。
喉元まで出かかった言葉は飲み込むことにして、
「ホテルの、ウェスティン・東京までお願いします。」
やっとの思いで再び絞り出す。
Uターンするタクシーの車窓から、小汚い渋谷の街並みを眺め、モヤモヤとした感情が渦を巻く。
なんか……なんか、さっきの発言、おかしくない?
『え、お客さん、メッセっておっしゃったじゃないですか!』
言ってないぜ。
聞き間違いをしてしまったことは責めないよ。
なんなら私の滑舌が悪かったのかもしれない。
運転手さんに悪気があった訳でもないし、うっかり渋谷に連れて行かれたくらいでは、焦りこそしても、怒ることはない。
でも『メッセっておっしゃったじゃないですか!』という発言は、
“メッセと聞こえてしまった自分の聞き間違いの可能性”を全否定し、かつ、私が“ウェスティンと言ったこと”さえ否定している。
私が“メッセ”という謎の施設へ行きたがっていたことになる。
だからそもそもメッセって何?幕張?それなら着く前に分かるわ。高速入る手前くらいで分かるわ。
結局渋谷の“メッセ”が何なのか分からないまま、遠回りしたぶんのタクシー代金をきちんと払って、当初の正しい目的ウェスティンホテルに到着したのでした。
渋谷のメッセ、検索しても出てこなかったから、結局何だったのかは分からずじまい。
次は運転手さんに滑舌よく伝えよう。
「メッセまで、連れていってください」って。
ブログをはじめた
mixiが流行っていたころだから、たしか8年くらい前だったと記憶している。
私はamebaブログを開設していて、わりとまめに更新していた。
今でこそ見た目も中身もまあるくなってきたけれど、当時の私はというと若気を至れり尽せり、ティーンエイジャーよろしく朕は国家なり。
ブログに面白おかしく(なお主観)毒を吐いては自己満足を極め、気付いた時には全盛期のアメブロで“人でなしジャンルランキング”上位一桁常連のランカーになっていた。
我ながら凄いと思うけど、その前に、一位はどんだけ人でなしなんだよ。
懐かしいなあ。
あれは鮮やかな黒歴史といえる。
さて、何故また此度ブログを始めようと思ったか。
ここのところ何をやっても上手くいかないもんで、 日々の些細な幸せだったこと、面白かったことを書き留めておきたいと思ったから。
誰が見ている訳でなくても、言葉を組み立てていくと、頭の中が整理されて、思いの外スッキリするもの。
この低迷期から一刻も早く抜け出せますようにと、願いを込めて。